白岩忠夫のホームページ
 

 メニューに戻る

 世直しは地方議会から

 おやじに勘当された日

 思 う こ と

 耳には耳に痛い
    ことばかり


 一国の政治

 わが子への手紙

 政策は誰のため

 いじめの本質は
   大人の世界にある


 大臣病・役職病

 『政治屋』には
    なりたくない


 選挙の想い出

 傘 地 蔵

 鬼子母の涙

 長靴をはいた猫

 財布の紐はなぜかたい

 子供から教わった
    一票の重み


 理想掲げ現実は
          上げ』

 動物からもらった
    人間の寿命


 変  革

 『理 由 の 後 先』




白岩忠夫事務所

  江東区亀戸3−24−12
    
  ミ ロ ミ ロ    シ ロ イ ワ
 TEL 
3636−4618
     ミ ロ ミ ナ    シ ロ イ ワ
 FAX 
3637−4658

  






コ ラ ム

 (かさ) () (ぞう)

朝起きると雪が降っていた、今年は東京に11年ぶりの12月初旬の積雪となった 。バブル崩壊(ほうかい)後、先の見えない経済状況、戦後失われた10年と言われ、(なお)(つづ)く不況。暮れになると、母親から聞かされた笠地蔵の話を思い出す。

貧しい老夫婦が(かさ)()み、正月用品を買う為、大晦日(おおみそか)にお(じい)さんが売りに出るが一つも売れない。帰り道、頭に雪が積もったお地蔵(じぞう)さんを見て「こんなひどい雪の夜に、寒かろう。寒かろう…」といいながら、お地蔵さんの頭に笠をかぶせ、6人目のお地蔵さんには自分の笠をとってかぶせて家に帰った。その話をお婆さんにすると「それは良いことをした。私たちには家もあるし、笠を作れる丈夫な体がありますから…。お正月の神様はお供えがなくともおいで下さる。」と二人は熱いお湯を飲み、薄い布団(ふとん)にくるまって眠りについた。その夜、お地蔵さんが恩返しに米やお餅や着物を運んできて、二人は幸せにという話だ。雪の中で笠を売り歩いてきたお爺さんの身を気遣(きづか)い、お爺さんは、こうすることがお婆さんも喜びなさると信じていたから、自然にできた行為だと思う。そこには貧しくてもいたわり合っている夫婦の強い(きずな)が感じられる。だからこそ、お地蔵さんもこの老夫婦に幸せを運んでくれたのだろう。もしかしたら、本当は米もお(もち)も着物も届かなかったのかも知れない。それと同じぐらい心が幸せになったと言うことかも…『思いをかければ、かけられる』大切なことを教えてくれているような気がする。今の世の中、こんな綺麗(きれい)事だけでは生きて行けないかも知れない。ただ、最悪の経済の中、失業者も増え続け、自殺者があとを絶たない時代だからこそ、せめて『笠地蔵』のお爺さん、お婆さんの生き方に心和ませ、豊かな心で苦境(くきょう)を乗り越えてほしいと思う。
                                      平成14年12月


 () () () の 涙

公園といえば、子供達の元気な声が飛び交うの世界を連想したものだか、昨今は、『公園デビュー』などという言葉が誕生するほど、公園の存在は様変わりしてしまったのだろうか。こんな言葉を聞くと、人との出会い()れ合いは、かなりの心労が(ともな)うものになってしまったような気がする。幼児にとって、他人との試練を経験し、人格を形成する幼児の『社会デビュー』と言うのならまだしも、母親同士の『心のぶつかり合い』を生む試練(しれん)の場となっているとは……。そんな現代社会が生んでしまった事件かも知れないが、同じ年の子供を持つ母親が『心のぶつかり合い』から、相手の母親の大切な、罪もない二歳の女の子の命を首を絞め奪ってしまった。
この事件後、仏典にある『鬼子母神(きしもじん)』の話が、我が家で話題になった。鬼子母には多数の子がいたが、性質(せいしつ)邪悪(じゃあく)で他人の子を(うば)っては食べていた。仏様はそんな鬼子母の子を一人お(かく)しになった。鬼子母は狂乱(きょうらん)し、子供を探し回り、(なげ)き悲んだ。仏様は、鬼子母に「お前の食べた子供の親の悲嘆(ひたん)と同じだ。」と(さと)され、鬼子母は人の悲しみを知り、子供達を守る神になったと云う話だが、『人の思いを我が思い』として受け止めることの(むずか)しさを感じる。『心のぶつかり合い』という言葉が、とても重く響く。現代社会が抱えている問題、次々に起こる衝撃的(しょうげきてき)な事件の根底にあるものではないだろうか。
                    (平成11年12月)


 

妻が子供に長靴をはいた猫を読んであげた。読み終わると、子供の口からでた言葉に私は驚いた。「これは、悪い猫の話だね。」と言うのである。今まで私は、この話を、父親が亡くなり、長男が粉ひき小屋、次男がロバ、そして三男が残ったたった一匹の猫をもらい、その猫の働きで、三男が幸せになるラッキーな話とばかり思っていた。思わず子供の言葉を聞いた私は、童話の本を改めて読み直してしまった。確かに、三男のわずかな金貨で長靴を買わせ、  公爵(こうしゃく)を嘘に嘘を重ねだまし、最後には悪者の城を乗っ取り、公爵の娘と結婚させてしまうのである。大人の私から見れば、根回しと知恵を使い、のし上がって行くだけのことで、人を傷つけたり(おとしい)れたりせず、最後に悪人まで退治(たいじ)してしまうのだから、なかなかのやり手の猫として称讃する事はあっても、悪い猫とは思わない。子供の純真さにはっとさせられた。
大人の社会では、このようなことは日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)である。時に、社会の中でのし上がっていく為には、長靴をはいた猫のごとく()()えることも必要なのかも知れない。しかしそれは、「悪人」にもなり得るのである。また、そう思う心も忘れてはならないと思う。その思いを忘れ、勝手に常識(じょうしき)範囲(はんい)を広げ、(おご)り高ぶり、自分の権力と利益に走った人と集団が、不祥事を起こし信頼を損ねた社会を作るのであろう。政治家も、官僚も、財界人も含め、指導的立場にある人達が、国を正しく導くには、自ら身をたださなければならないのだと思う。
いったい長靴をはいた猫は、「良い猫」なのか、「悪い猫」なのか答えを出すのは難しい。
                                   平成11年1月


                                   ページの先頭に戻る

Copyright (C) 2007 Tadao Shiroiwa All Rights Reserved.